コバルトーレ女川は平成18年4月にアマチュアサッカーチームとして誕生しました。女川町を拠点地として活動し、平成29年のJリーグ加入を目指しています。そもそもなぜ東北の人口1万人に満たない小さな町にJリーグ入りを目指すサッカーチームが生まれたのか。その背景には、女川町が長年抱えてきた課題がありました。
宮城県東部の牡鹿半島基部に位置する女川町は、漁業を中心とした港町です。しかし近年は高齢過疎化が進み、地域の活性が大きな問題となっていました。特に若者がいないことで、主産業である漁業も衰退し、町から活気が失われていくことが懸念されていました。そんな状況に歯止めをかけようと立ち上げられたのが「女川スポーツコミュニティー構想」で、スポーツを中心に町を活性化し、若年層の人口を増やしていくというビジョンが掲げられました。その推進的役割を担うべく、「コバルトーレ女川」が発足したのです。
そのため、チームには「地域貢献」という大事な使命があります。サッカーを中心とする活動で町を元気づけることが、クラブの存在意義です。選手やスタッフは町の清掃やお祭りへの参加、サッカースクール運営、保育所への訪問サッカー教室など様々な地域の活動にも携わってきました。
また、選手たちは日中地元の企業で仕事をすることで、地域に貴重な労働力を提供することも期待されています。チームは平成18年度に石巻市民リーグに参戦すると、2年後には東北社会人リーグ2部に昇格、21年度には東北社会人リーグ1部昇格を決めるなど大躍進を遂げました。しかし、翌年1部リーグでの戦いは主力メンバーの負傷など不運も加わり成績は振るわず、結果は8位。わずか1年で2部に降格することになりました。
再び1部昇格を目指して臨んだ平成23年度。しかし、この年はリーグ開幕の直前に東日本大震災が発生してしまいました。
女川町は壊滅的な被害を受け、サッカーを行える環境ではなくなりました。チームは1年間活動を休止して町の支援活動を行う決断を取りました。
「とにかく活動してほしい」。震災後、サッカーをすることに後ろめたさを感じていた選手たちに、サッカーをするよう後押ししたのは女川の人たちで、「活動を再開することが町の元気につながる」と言ってくれました。
2011年9月にトップチームの練習が週に1回再開し、10月から週に2回練習を行うことができるようになりました。夜にナイター照明をつけて、騒がしく練習することも、町の人は「にぎやかでいい」と歓迎し、練習の見学にも来てくれました。
そして2012年4月22日。コバルトーレ女川はリーグ戦のピッチに再び立つことができました。
復帰戦となった開幕戦は5-0で快勝。その後もリーグ戦で快進撃を続け、24年度はリーグ2位の成績を収め、再び1部昇格を掴み取りました。「サッカーで女川の人たちに恩返しをしたい」。震災を経てチームは今まで以上に結果にこだわりを持つようになりました。試合で勝つことで女川町に明るさと元気を届けることができるからです。チームは現在「将来のJリーグ入り」を目指して歩みを進めています。コバルトーレがJリーグに参入すれば、アウェイチームのサポーターが数百人単位で女川に来ることになります。また、チームのJリーグ入りと並行して町のスポーツ施設が充実していけば、キャンプの誘致や各種スポーツ大会を開催して多くの人を町に呼ぶことができます。それは、震災以降人口が1万人から7,500人まで減少した女川町に計り知れない恩恵をもたらすはずです。
設立当時から描いていたJリーグ入りという目標。それは、未曾有の震災を経ても崩れることはなく、今や女川町が一体となって目指す大きな目標となりつつあります。