NEWSニュース

  • トップチーム
  • 2021/03/08

まちを元気にしていくための強さ

東日本大震災から間もなく10年。この10年で、日本サッカーの構図は大きく変わりました。2014年にはJ1、J2に次ぐプロリーグとしてJ3が誕生。東北からはこの10年で、ヴァンラーレ八戸、ブラウブリッツ秋田、いわてグルージャ盛岡、福島ユナイテッドFCが戦いの舞台をJリーグに移しました。東日本大震災により、チーム存続の危機に直面したコバルトーレ女川にとって、この10年間とはどんな時間だったのか―――。2006年の創設時から所属する阿部裕二監督と吉田圭選手に、この10年を振り返ってもらいました。


15回目のシーズン開幕に臨む吉田選手

神奈川県鎌倉市出身の吉田選手は2006年3月、高校を卒業するのと同時に、縁もなかった女川町でサッカーすることを選びました。それから数えれば今年は16年目となりますが、2011年には震災により活動を休止したため、今季で15回目のシーズン開幕に臨むことになります。

今では震災前のチームを知る唯一の選手。そんな吉田選手に「コバルトーレのこの10年はどうだったか」と聞いてみると、少し考えて「JFLに上がったことが一番じゃないですかね。落ちた(降格)ことも大きかったけど」と答えてくれました。

変らないチームコンセプト

2012年、コバルトーレは1年間の休止を経て活動を再開しました。この時、入団したのが今も活躍する小川和也選手と池田幸樹選手。翌年には現キャプテンの黒田涼太選手も入団。今につながるチームの原型ができあがっていきました。

チームの根底にあるコンセプトは「町を元気にすること」です。吉田選手は「復興に向かう中で町が徐々に落ち着いて、当たり前の生活が戻ってきた時、チームは被災した町でサッカーをやっている意味を考えていたと思います。ここにいる自分たちがやれることが、JFLに上がること。その目標を達成すれば、サッカーをやらせてもらっている女川への恩返しになると思い、チームが一つにまとまってJFLに上がれた」と振り返ります。


全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2017 決勝ラウンド コバルトーレ女川 vs テゲバジャーロ宮崎戦(2017年11月24日)

コバルトーレは2017年東北リーグ1部で優勝し2年連続で全国地域サッカーチャンピオンズリーグに出場。全国の強豪チームを破って優勝し翌年のJFL参入を決めました。


全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2017で優勝を決めました。千葉県市原市ゼットエーオリプリスタジアム(2017年11月26日)

アマチュア最高峰リーグJFLには当時16チームが所属。北は青森から南は宮崎まで、ホーム&アウェイで全30試合を戦いました。JFLでは天然芝での試合が条件となっていることから、石巻市などの会場で開催。ホーム戦全15試合で延べ約8千人が来場しチームに声援を送りました。


第20回JFL ラインメール青森FCとのホーム開幕戦には1313人が来場しました。(2018年4月1日@石巻フットボール場)

まちを元気にしていくために求められる強さ

全国を巡るアウェイ戦は、女川の名前と共に全国へ復興支援のお礼を伝える機会にもなりました。愛媛県に乗り込んだFC今治との試合では、震災後に女川を訪れた愛媛の人々が特産のジュースを届け応援に駆け付けてくれました。2018シーズンを経験した吉田選手は「JFLに上がったことで、被災したチームというイメージから、女川という町にサッカーチームがあるというイメージに変えられたのが良かった」と振り返ります。全国のサッカー好きの人々に、サッカーを通して女川町を知るきっかけを与えられました。

サッカーには昇格や降格が付きもの。阿部監督も吉田選手も昇格することが復興の手助けになると感じています。JFLに在籍した1年間でそれがはっきりと分かりました。今シーズンは間もなく完成する女川スタジアムでの試合も予定されています。再びJFLに昇格すれば、今度は、全国からサッカーで女川に人を呼び込むことができます。

チームは、この10年間で昇格も降格も経験しましたが、町を元気にしていくための目標はこの間、何も変わっていません。阿部監督は「震災を境に、クラブが無くならずに、活動を継続してこられたのも町の皆さんの支えがあったからこそ。今後も活動し続けることで町が元気になり、前に進んでいく手助けになっていれば嬉しい」と語ります。この10年間がそうだったように、チームが存続し続ければ町を元気にしていくことができます。コバルトーレは次の10年も上を目指し、活動し続けていきたいと思っています。